【健康法】ダイエット法について書かれている本はこの世に必要なのか?
高校生の頃、私は健康にうるさい不健康DKだった。
若くしてそこそこの健康オタクになってしまっていた。
しかし、今は、各人が成るようになれば健康的で幸せになれると確信している。
そもそも、健康オタクとは、私なりの定義だが、
・健康食や健康的な運動を無駄にたくさん知っている
・食品添加物などにも詳しく食べ物を几帳面に選別する
・そういう自分の知識をひけらかしたり、すすんで他人に教えたり勧めたりする
こういう、ちょっとしたお節介さんのことだと思う。
そして、はっきり言って、こういうスキルは人生の幸せにはほとんど必要ない。
だって、人間はたとえ我慢しても、食べたいものは食べるようになるし、美味しくないと感じるものは食べなくなるからだ。
確かに、ダイエットは、変化、意識、時には我慢をし、健康志向や健康的生活が当たり前に習慣化されるのが、主なプロセスだ。
しかし、単に体重を減らしたい、キレイを手に入れたい、と思うときにも、美味しい食事は目の前にある。
そこで、ダイエット法を伝授する本は語る。
「〇〇は弾力的な触感なので腹持ちがいいですよ。〇〇は食物繊維が豊富なので腹持ちがいいですよ。」
なんだそれは。
お分かりいただけるだろうか、この言葉のまやかしを。
それが美味しくないなら、一時的に仕方なく食べる。それが好物ならたくさん食べる。
特に、好き嫌いの少ない傾向のあるデブ症の我々がこの説明から感じることはこうだ。
「〇〇ならたくさん食べていいんだな」
多くの場合、体重が落とせない人は、健康的な食べ物であろうとなかろうと、絶対量が多いのだ。
別に健康食を食べていないから痩せないわけではない。
健康食だって食べすぎれば体に毒なのだ。
私が大半の健康法の本の存在を否定したい理由はまさにここにある。
楽して痩せようという発想を否定するつもりはないが、楽して痩せるために、健康食を過剰に持ち出すのはデブの我々にとって大変困る。
だって、食べすぎてデブになったんだもん。
じゃあ、どうすればよいか、答えはこれしかない。
少食 だ、だ、だだ♪
少しずつ食べる量を減らしてあげればよいのだ。
段階的に少しずつ。
「そうはいっても、もっと食べたい。」という声もあるだろう。
真のダイエット法はこれを解決することにある。
私が知っているのは
・一日を通じて水を多めに、また食事の30分前に水を飲む
・食べものをよく噛んで、味わう
これだけでよい。
これについては後日説明しよう
これこそが「キネフチック式ダイエット」(今決めた)